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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)4095号 判決 1982年5月26日

原告 又万株式会社

被告 中川林一 外一名

主文

一  被告らは原告に対し、各自金一六四万九九九一円及びこれに対する昭和五五年六月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立て

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金二五〇万七一三〇円及びこれに対する昭和五五年六月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  請求の原因

1  原告は婦人服地・ブラウス等の衣類の卸販売を営む会社、株式会社モード・サンアイ(以下「モード・サンアイ」という。)は婦人各種ブラウス及び婦人服装の製造販売を営む会社である。被告林一はモード・サンアイの代表取締役。被告郁子は同林一の妻でモード・サンアイの取締役(業務担当)で、同社の社印・手形帳簿を預かり、手形振出し、会社帳簿の検討・保管等業務の重要部分を任せられ、同社経営の実権を主として握つていた。

2  モード・サンアイの経営は昭和五四年七月ごろから悪化、同月三一日現在の決算報告(第二期)では金五八四万四二四四円の損失を計上していた。同年一一月ごろには経営破綻、倒産寸前の状態であつた。

ところが、被告らは、原告を含むモード・サンアイの債権者にことさら右事実を秘匿し、むしろ積極的に経営が順調であるかのように装い振る舞つた。

その結果、原告はモード・サンアイに対し、昭和五四年一一月一六日から同五五年二月一二日までの間、婦人服地・ブラウス・セーター等を毎月二〇日締め、翌月一〇日払の約定で継続的に売り渡し(代金合計二八八万七一三〇円)、この代金支払のため、被告郁子を通じてモード・サンアイから次の(一)ないし(六)の約束手形(以下「本件手形」という。)の振出し交付を受けた。

(一) 金額 五三万円

満期 昭和五五年二月二九日

支払場所 株式会社太陽神戸銀行枚方支店

振出地・支払地 枚方市

振出日 昭和五四年一〇月一五日

振出人 モード・サンアイ

受取人 原告

(二) 金額 五〇万円

満期 昭和五五年三月二六日

振出日 同年一月八日

その他の要件は(一)と同じ

(三) 金額 二二万六〇〇〇円

満期 昭和五五年四月二六日

振出日 同年一月八日

その他の要件は(一)と同じ

(四) 金額 一二〇万円

満期 昭和五五年四月二六日

振出日 同年一月八日

その他の要件は(一)と同じ

(五) 金額 二三万六四三〇円

満期 昭和五五年五月一六日

振出日 同年二月一二日

その他の要件は(一)と同じ

(六) 金額 一九万四〇〇〇円

満期 昭和五五年五月二七日

振出日 昭和五四年一二月二六日

その他の要件は(一)と同じ

3  原告は(一)の本件手形につき、満期である昭和五五年二月二九日に支払場所で支払のため呈示したが不渡りとなり、モード・サンアイもそのころ倒産した。そのため、原告は本件手形の手形金支払を受けることができなくなつた。その後モード・サンアイの債権者委員会から金三八万円を回収したが、手形金との差額二五〇万七一三〇円の債権回収は不能となり、同額の損害を被つた。

4  前述のとおり、被告らはモード・サンアイの経営悪化の事実を秘し、代金支払の見込みが全く立たなかつたにもかかわらず、昭和五四年一一月ごろから原告との取引高を増加させた。ちなみに、原告とモード・サンアイの取引額は従前、一か月せいぜい金一五〇万円程度だつたが、昭和五四年一一月一六日から同年一二月二一日までのそれは約二四〇万円に急増した。

モード・サンアイが原告に本件手形を振り出したとしても、満期日に支払うことは到底見込みがなく、その事情を被告らは十分知つていた。それにもかかわらず、被告らはモード・サンアイの代表取締役及び業務担当取締役として本件手形を振り出し、その結果不渡りとなつたものであるから、被告らの本件手形振出し行為は、商法二六六条の三第一項所定の取締役がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があつたものというべく、被告らは原告の被つた前記損害を賠償すべき義務がある。

5  よつて、原告は被告らに対し、損害金二五〇万七一三〇円及びこれに対する訴状送達日の翌日である昭和五五年六月一五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。

二  請求の原因に対する被告らの認否

1  請求の原因1の事実中、原告と被告林一に関する部分は認。被告郁子に関する部分のうち、被告林一の妻であることと登記簿上モード・サンアイの取締役の地位にあることは認。その余否認。

2  同2の事実中、原告がモード・サンアイに対し、原告主張のとおりの約定で商品を売り渡し、モード・サンアイが原告に本件手形を振り出したことは認。その余の事実否認。

3  同3の事実中、モード・サンアイが昭和五五年二月二九日に手形不渡りを出し、そのころ倒産したこと認。その余不知。

4  同4の事実否認。法的主張は争う。

5  モード・サンアイの資本金三〇〇万円の一部は被告郁子名義のものがあつたが、実際は全部被告林一の出資によつた。被告郁子は登記簿上取締役に就任したが、一家の主婦としての生活の傍ら暇をみてモード・サンアイの金銭出納簿・仕入帳など一部帳簿の記帳、不良品の裁断・ボタン数え・電話の取次ぎの雑用を行つていたにすぎない。モード・サンアイの業務については、被告林一が被告郁子を含む全従業員を指揮監督し、全責任を負つて決定執行してきた。特に対外的業務執行は、被告林一のみが全権限を有し、同郁子がこれに関与する余地は皆無であつた。

モード・サンアイは昭和五三年八月ごろからブラウス等の製造を開始(当初は外注製造)、その後同年一一月ごろから自社工場で約三割を縫製した。ところが外注分について納期遅れ、縫製ミスなどが重なつたため、当初の予定価格で販売することができず、大部分投売りせざるを得なくなつた。これを原因として、第二期決算(昭和五三年八月一日から同五四年七月三一日まで)で金五八四万円ほどの損失が発生。この原因は製造部門の不振にあつたので、被告林一は、製造部門を切り捨てることによつて外注費・人件費を大幅に削減することを計画、昭和五四年一〇月ごろから原告を含む得意先に経営縮少方針を告げていた。

製造に係る年間経費として、外注加工費一三〇〇万円・自社工場家賃九六万円・縫製関係従業員の給料五一六万円・以上合計一九〇〇万円余りを要していた。そこでこれらを削減することによつて損失発生を止めることが可能であるのみならず、程なく既発生損失分を補てんすることができたはずだつた。つまり、昭和五五年八月から同五五年一月までの間、モード・サンアイは、売掛けの入金額から手形支払額を控除してなお八三三万円余りの剰余資金を有していた。これは、給料・家賃などの支払に充てられなければならないが、モード・サンアイの今後の手形決済資金に何らの不安を感じさせたかつたことを示しているのである。

そして、昭和五五年二月から七月までに決算すべき手形金は合計一一四二万五八一五円だつたが、これに同年二月以降新たに仕入れるべき商品の支払代金を加算した分について、人件費・家賃等の経費削減の努力の下で毎月の支払をしていくことは容易であつた。二、三月ごろは冬物商品から春物商品への転換期と重なり入金予定がないので、一時的に資金不足を感じさせるようだが、二月には国民金融公庫から金三〇〇万円の融資を受けられることに決定しており、モード・サンアイの資金準備は万全であつた。

しかしながら、モード・サンアイの製造部門を廃止し自社工場を閉鎖することによつて取引先に対して倒産との疑いや不安を与えるかもしれないと考えた被告林一は、昭和五五年二月一八日、原告を含む主な取引先に対し右事情を説明するため参集を依頼した。ところが、原告の代表取締役平松誠一はモード・サンアイを倒産するものと決めつけて強引に債権回収を図り、被告林一は債権者らに参集を依頼した本来の目的を説明することができなかつた。翌一九日、平松は被告林一にモード・サンアイの小切手二通に白紙のまま捺印させた。平松は、モード・サンアイの銀行預金残がわずかであることを被告林一から聞いていたにもかかわらず、同月二二日、右一通の小切手の金額欄に原告の債権額である金二八八万七一三〇円を記入して取立てに回した。ここにモード・サンアイは第一回目の不渡りを出し対外的信用を完全に失つた。平松ら債権者の担当者は、二月一八日から連日モード・サンアイの事務所に押しかけ、三〇〇万円相当の在庫商品・什器備品などモード・サンアイの一切の資産を持ち帰り事務所の賃借保証金一二〇万円を取り上げ、またモード・サンアイの各種帳簿類を押収した。

モード・サンアイ倒産の原因と責任は原告に存するのである。

以上要するに、被告らには、モード・サンアイの取締役としての職務を行うにつき悪意又は重過失に基づく任務懈怠があつたとは考えられない。

三  被告らの抗弁

被告らの責任があるとしても、既述のとおり原告には損害発生について悪意又は重大な過失が存するから、大幅に過失相殺の要がある。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認。過失相殺の主張は争う。

第三証拠<省略>

理由

一  次の事実は当事者間に争いがない。

原告が婦人服地・ブラウス等の衣類の卸販売を営む会社であること。

モード・サンアイが婦人各種ブラウス及び婦人服等の縫造販売を営む会社であること。

被告林一がモード・サンアイの代表取締役、被告郁子が同林一の妻であつて同社の取締役であること。

原告がモード・サンアイに対し、昭和五四年一一月一六日から同五五年二月一二日までの間、婦人服地・ブラウス・セーター等を毎月二〇日締め・翌月二〇日払の約定で継続的に売り渡し、この代金合計が二八八万七一三〇円であること。

モード・サンアイが右代金支払のため、請求の原因2記載の本件手形を原告に振り出したが、いずれも満期に手形金が支払われなかつたこと。

二  モード・サンアイが手形不渡りを出した経緯を判断する。

1  まず、昭和五五年二月一八日の出来事が生ずるまでのモード・サンアイの資金状態などは以下のとおり。以下の事実は、成立に争いない甲第一、六ないし八、一三号証、証人平松得三郎の証言により真正に成立したと認められる甲第四号証、同証人の証言並びに被告林一本人尋問(第一回)及び原告代表者尋問の結果によつて認めることができる。

(一)  被告林一は、昭和四七年ごろから個人営業で婦人ブラウスの仕入れ・販売業を営んできた。同五二年末ごろ、取引先のグンゼ産業大阪支店の依頼によつてブラウス類の製造も始めることとし、これを機に個人営業を会社組織に改め、同五三年一月三一日にモード・サンアイを設立した。

(二)  モード・サンアイは昭和五三年八月ごろからブラウス類の製造を外注で開始。その後同年一一月ごろからは自社工場を設け約三割を自社工場で縫製し、その余を社外の縫製業者に外注し始めた。

しかし、製造を手掛けたことは営業上の失敗であつた。すなわち、デザイン・縫製の不慣れがあり、外注分の納期遅れも重なり、当初予定していた価格での販売ができず、大部分の製造品を投売りせざるを得なかつた。

このことが原因として、ブラウス類製造を始めた年度の昭和五三年八月一日から同五四年七月三一日までモード・サンアイの第二期決算では、五八四万四二四四円の損失を生じた。前期繰越損失六四万九三七八円と比べて大幅なものであるし、前期繰越損失と合わせると、次期繰越損失は六四九万三六二二円に上つた。

このため、被告林一は、製造部門を利用しての営業よりも製品仕入れを基調とした営業に主眼を置くこととした。しかし、この営業方針転換も欠損減少を生ずるには至らなかつた。すなわち、次のとおり、売上げ増には結びつかなかつたのである。

(三)  昭和五三年八月から同五四年七月までのモード・サンアイの総売上高は五五八五万二九〇〇円(甲第六号証中の損益計算書による。)。したがつて、月平均売上高は四六五万四四〇八円だつた。

これに対して、昭和五四年八月以降の月別売上高は次のとおり(甲第一三号証による。返品は返品のあつた月のマイナスの売上げとして計算。)。

五四年八月  三〇万一一九五円

九月 四二〇万五六八五円

一〇月 三一五万八二六五円

一一月 三九九万四五〇〇円

一二月 三一六万五一四〇円

五五年一月 三一一万四四七〇円

二月  四一万八八〇〇円

こうしてみると、大幅な繰越欠損を出した後も売上げの増加がなく、かえつて減少気味となつた。

のみならず、右月別の売上高の中身についてみると、恒常的な買上げ先の分が減つて、その場限りの現金売りが増えた。昭和五四年八月以降の現金売り分の売上高は次のとおり(甲第一三号証による。)。

五四年八月  一一万七二〇〇円

九月 一二三万八三七五円

一〇月  八一万四五八〇円

一一月 二三五万六七三〇円

一二月 二〇一万五二三〇円

五五年一月   五万五二〇〇円

また、昭和五五年一月まで続いた取引先のうち大量買上げ会社(岡藤商事株式会社)も同月九日まででモード・サンアイからの買上げを中止した。

(四)  原告はモード・サンアイに対する生地売りの取引を昭和五三年五月から、製品売りの取引を同五四年三月からそれぞれ開始した。代金支払方法は、毎月二〇日締め翌月一〇日手形支払、手形の満期は生地が一二〇日後、製品が六〇日後であつた。

前認定のとおり、被告林一がモード・サンアイの営業を製造から仕入れに主眼を置くことに方針転換したため、原告とモード・サンアイとの間でも、昭和五四年一〇月には生地の取引がほとんどなくなり、代わつて、そのころから、モード・サンアイの原告からの製品仕入れが急激に増え、従前の取引高が一か月せいぜい一五〇万円程度だつたのが、同年一一月一六日から一二月二一日までの間には約二四〇万円にも上つた。

(五)  右のような経営方針の転換にもかかわらず前期からの繰越欠損は一向に解消する見込みがなかつたので、被告林一は、原告に対するモード・サンアイの買受け代金支払のための手形満期の繰下げを懇請することとし、昭和五四年一二月二六日に振り出すべき約束手形の満期日を従前の取引約定より長くして、一二〇万円の手形については同五五年四月二六日、一九万四七〇〇円の手形については同年五月二七日とすることで原告の了解を得た。

(六)  昭和五五年一月末には、モード・サンアイが有していた売掛代金のほとんどすべてを回収し尽くし、二〇〇万円余りの回収困難な不良売掛債権のみが以後に引き継がれたにとどまつた。

なお、モード・サンアイとの最後の大量取引先(同社からの買上げ先)であつた岡藤商事株式会社はいわゆる金融物を専門に取り扱つている会社で、正常価格による継続的取引は望めなかつた。

(七)  モード・サンアイが昭和五五年二月末日以降決済すべき手形金合計の満期日による月別内訳は次のとおりであつた。

五五年二月  一八八万五八一〇円

三月  三一九万七二五五円

四月  二七一万三七六〇円

五月  一六二万四三八〇円

六月  一一三万二二一〇円

七月   五〇万〇〇〇〇円

以上合計 一一〇五万三三一五円

2  右認定事実を総合すると、モード・サンアイは昭和五四年七月までの決算期において六四九万三六二二円の累積赤字を生じており、この赤字を埋め合わそうと考えた被告林一は、昭和五三年八月ごろから始めたばかりのブラウス類の製造をやめて従前の仕入販売に力を入れようとしたが、累積赤字は解消しなかつたこと、のみならず、在庫整理のため仕入れ商品の投売りをしてまでも急場の債務支払に充てようとしたが、累積赤字はかえつて増大して行つたことが明らかである。

被告林一本人(第一回)は、製造部門を打ち切ることによつて、自社工場の家賃・縫製関係の従業員給料を削減することができ、容易に損失の発生をとどめ、既発生の損失も穴埋めできたはずである旨供述する。しかし、製造部門を打ち切つたのみで販売そのものを縮少したのでは利益増大は望めず、製造部門に係る製品の販売に伴つて生じた損失を補てんできないことになる。この損失補てんのためには、製造打切りの見返りとして仕入れを拡大しなければならないが、この仕入れに伴う費用も見込まなければならないし、従前の赤字解消のためには販売先の大幅増大が企図されねばならないことは見やすい道理である。ところが、この販売先の大幅増大はなされず、かえつて、昭和五四年八月以降の売上高は減少したし、当座売りである現金売りや金融物専門業者への販売をも行うに至つたのである。被告林一の前記供述は経営者の見通しとして誠に甘いものであると断ぜざるを得ない。

3  次に昭和五五年二月一八日以降の事実は以下のとおり。

これらの事実は、甲第九号証と乙第二号証の存在自体、原告代表者尋問の結果及び被告林一本人尋問の結果(第一回)によつて認めることができる。

(一)  昭和五五年二月一八日に至り、被告林一は、モード・サンアイに対する取引債権者に対する債務支払の猶予・一部棚上げを考慮してもらうため、これからの事業計画等の説明会を開催しようとして、原告を含む債権者に参集を呼びかけた。

(二)  ところが、モード・サンアイが従前から金融物専門の業者に製品を販売し、また手形支払期日の繰下げをしていたため、原告を含む債権者は、被告林一の説明を聞くまでもなく、モード・サンアイが既に再建の余地がないものと判断し、非公式な債権者委員会を直ちに設けて債権回収を図つた。この際、原告代表者平松誠一は委員会の副委員長として事に当たつた。

(三)  原告代表者を含む債権者委員会のメンバーは、一八日から二三日にかけて連日モード・サンアイの事務所に立ち入り、在庫商品、什器備品等モード・サンアイ事務所の一切の資産を持ち出し、事務所の賃借保証金一二〇万円の返還を受け、帳簿類や会社の印鑑、事務所のかぎも持ち出した。さらに、原告代表者は、一九日、モード・サンアイの小切手二通に金額白紙のまま被告林一に捺印させた。

(四)  原告代表者は、原告のモード・サンアイに対する債権額である二八八万七一三〇円を右小切手の一通に記載して、同月二三日取立てに回したが、資金不足のため不渡りとなつた。

(五)  そして、その後に満期が来た原告所持の本件手形もいずれも不渡りとなつた(この点は当事者間に争いない。)。

三  被告林一の責任について判断する。

右認定のとおり、モード・サンアイが昭和五四年七月までに多額の欠損を生じたのだから、代表取締役の被告林一としては、経営者の健全は経営手腕によりこの欠損を解消するよう努め、少なくとも債務の支払不能の事態に解陥ることないよう細心の注意を払わなければならなかつたといわねばならない。この注意義務が被告林一のモードサンアイに対する代表取締役としての善良な管理者の義務であり忠実義務である。にもかかわらず、二2で判示したように、同被告はこの注意義務を怠つたのであつて、二1(六)、(七)で認定した事実に照らすと、同被告のこの注意義務の怠りによつてモード・サンアイは昭和五五年一月末に債務支払不能に陥つたというべきである。

そうすると、同被告は、モード・サンアイの代表取締役としての重大な過失によつて任務を怠つたというべく、これによつて第三者が被つた損害を賠償する責任がある。

同被告本人(第一回)は、モード・サンアイが国民金融公庫から昭和五五年二月に金三〇〇万円の融資を受けることに決定していたから、同月の手形決済には支障がなかつた旨供述する。しかし、この供述自体直ちに措信することができないのみならず、前記二1(七)で認定の同月に決済すべき手形金合計額、及び、成立に争いのない甲第一一号証の一、二によつて認められるモード・サンアイが当時負担していた債務総額によれば、金三〇〇万円の融資を受けるだけで直ちにモード・サンアイの当座の債務支払が可能となつたとは到底いい難い。いずれにせよ右供述は採用できない。

四  被告郁子の責任について判断する。

被告林一本人尋問の結果(第一回)によると、モード・サンアイは資本金三〇〇万円で、被告林一、同郁子及び被告両名の二男中川慎二の三名の出資によつたこと、取締役は被告両名と慎二の被告ら親子のみで構成されていることが認められる。このように、モード・サンアイはいわば同族会社である。このような同族会社においては、特定の取締役が他の取締役を排してワンマン的に会社経営を遂行していつたなどの特段の事情の認められない限り、通常の株式会社に比して取締役において代表取締役の業務執行が適正に行われることを監視し補佐することが容易であり、かつこの監視補佐をすべき職務が取締役に課せられているというべきである。

本件において、被告林一本人(第一回)と同郁子本人はそれぞれ、モード・サンアイの経営は代表取締役の被告林一が業務全般にわたつて全責任を負つて決定していたのであり、被告郁子は、同林一の雇人的立場で同社の業務の一端を担つてきたにすぎず、一家の主婦としての生活の傍ら暇をみて同社の金銭出納簿等帳簿類の記帳、不良品の裁断等の雑用を行つてきたものである旨供述する。

しかし、成立に争いのない甲第一〇号証の一及び被告林一本人尋問の結果によれば、被告郁子は自己所有の土地につきモード・サンアイのために抵当権を設定し、また、個人としてモード・サンアイに融資をしたことが再三であつたことが認められる。この事実に照らせば、両被告本人の各供述はいずれも措信できない。ほかには、前記のような特段の事情を見出すべき証拠はない。

そうすると、被告郁子はモード・サンアイの取締役として、代表取締役である被告林一の前記重過失行為を未然に防ぐべく監視し補佐すべき注意義務をモード・サンアイに対して負担していたというべきである。そして、被告郁子本人尋問の結果によれば、同被告は、被告林一の経営方針について適切な監視補佐を何らしなかつたことが認められるのであつて、このことによつてモード・サンアイが債務支払不能に陥つたことには、重大な過失があつたといわざるを得ない。

五  被告らの重過失行為によつて原告が被つた損害について判断する。

右にみてきたとおり、被告らの重過失行為によりモード・サンアイは昭和五五年一月末に支払不能に陥つたのであるが、これとの因果関係はともかく、その後に満期が到来したのに手形金が支払われなかつた本件手形金合計二八八万七一三〇円について原告は損害を被つたというべきである。

六  被告らの重過失行為について具体的に認定し、これと損害との因果関係について付言する。

被告林一本人尋問の結果(第一回)によれば、昭和五四年七月末日に大幅な欠損を生じてから、被告林一はモード・サンアイの経営について、しばらく従前の経営方針を続けたが、同年一〇月ごろから製造部門を廃止し仕入部門を増加させようとの方針を採り始めたことが認められる。

ところで、本件手形のうち(一)の金五三万円の分は、被告林一がかような経営方針の転換をする直前に振り出されたもので、かつ従前の取引に引き続き従前とほぼ同一の取引高による取引に関する服地仕入代金の支払のために振り出されたこと(つまり、製品仕入れ増加の方針の下に振り出されたものではないこと、このことは証人平松得三郎の証言によつて真正に成立したと認める甲第三号証によつて認められる。)からすると、右(一)の手形振出しをもつて被告らの前記重過失行為に該当すると認めることはできない。もつとも、この振出し当時においても従前の欠損が解消されてはいなかつたが、このことから直ちに(一)の本件手形が不渡りとなることが予測されるものでもなく、ほかにこのことが予測できたことを裏付ける事情を認むべき証拠もない。

したがつて、当然、右手形の支払不能によつて被つた原告の損害も被告らの重過失行為によつて生じたとはいえない。なお、前述の重過失以外の過失態様については主張立証のないところである。

次に、(二)ないし(六)の本件手形は、いずれも昭和五四年一二月下旬以降に振り出されたものである。昭和五四年一二月に入つてからは、モード・サンアイの商品の現金売りが増え、被告林一の経営方針転換にもかかわらず継続的取引先の拡大が図られなかつたために累積赤字が増えこそすれ減少せず、このことからすれば、モード・サンアイは近日中に支払不能に陥ることが当然同被告に予期できたはずである。したがつて、いたずらに商品を原告から買い入れこの代金支払のために(二)ないし(六)の本件手形を振り出したことには、同被告にとつて重大な過失があつたのであり、これを看過した被告郁子にも同様の重過失があつたといわざるを得ない。

そして、(二)ないし(六)の本件手形が満期に支払われなかつたことによつて原告が被つた手形金相当損害金二三五万七一三〇円は右各重過失によつて生じた損害と認めて差し支えない。

被告らは、モード・サンアイの倒産が原告を含む債権者の行為によつてもたらされたのだから、右因果関係はない旨主張する。だが、前判示のとおり、昭和五五年一月末にモード・サンアイは既に支払不能に陥つていたのだから、被告ら主張の事実は右因果関係の存在を覆すものではない。

六  原告が本件手形金支払の一部として金三八万円の弁済を受けたことは原告の自認するところである。これは、本件手形のうち最も早く満期の到来した(一)の手形金に充当されたものと解すべきであるから、原告が被告らの重過失によつて被つた(二)ないし(六)の本件手形金相当の損害をてん補するものではない。

七  次に、当裁判所は、損害を拡大させたことにおいて原告にも過失があつて、損害賠償額を認めるに当たつてこれをしんしやくすべきものと判断する。

すなわち、前記二3で判示したとおり、被告林一は昭和五五年二月以降、業務を縮少しでもモード・サンアイの営業を存続させたい意向だつた(この認定に反する諸人平松得三郎と原告代表者の各供述部分は措信できない。)のに反し、同所で判示した経緯により、原告を含む債権者は、同月一八日から二三日にかけて、強引に残存動産類を処分し、満期の到来していない手形金についての小切手を直ちに取立てに回し、帳簿類も取り上げたのであつて、被告らは、これから以降、事実上モード・サンアイの営業を続けることができなくなつたのである。被告らと原告を含む債権者との間で、モード・サンアイの債務整理、今後の業務方針あるいは国民金融公庫などからの融資について冷静に協議する機会が持たれたならば、本件手形について、満期の日に全額とはいえずとも、近い将来三八万円を超えてある程度の回収をすることが可能であつたと考えるべきである。そして、(二)ないし(六)の本件手形の満期が右の時点においていまだ到来していなかつたのに直ちに回収を図つたことを併せ考えると、右のような機会も設けずに、前述のような強引な行動をとつたことにおいて、原告にも過失相殺されるべき事情があつたといわねばならず、この割合は三割と認めるのが相当である。

そうすると、前記損害金二三五万七一三〇円からこの三割分を控除した金一六四万九九九一円が、被告らにおいて商法二六六条の三第一項に基づき連帯して原告に賠償すべき損害となる。

八  してみれば、原告の本訴請求は主文一の限度でいずれも認容すべきである(訴状送達日が原告主張どおりであることは記録上明らか。)が、その余は失当として棄却すべきである。よつて、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項ただし書、一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 塩月秀平)

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